2010年12月28日

心と身と太極図

体と心、魂の関係性について
長年解りたいと思っていました。

2010年夏。昨年から参加している滝行に行きました。
古武術研究家で「心道」を啓かれている河野智聖先生ミュートネットワークの皆様と、チベットのリンポチェにも師事したという修験道家の川島金山先生に先達を頂き、神奈川県の洒水の瀧に入滝後、一柱の座禅を経て頂いたインスピレーションを元に図化してみました。
(上の川島先生のリンクには滝行の動画もあります。)

心身三重図
発端は、滝行合宿の際、魂・精神(自我)・身体の順に内から外へと同心円状の関係があると説明したことについて、参加者の方から「身体と魂の直接接続もあるのでは?」と疑問を呈していただいたことに因ります。
(以下、各図はクリックすると拡大します。)


最初の着想は、陰陽道でお馴染みの太極図を用いるというものでした。
太極図
心身と魂の関係を示すには、この太極図を90度時計回りに回転させます。
陰陽の説に従い、陽は身体・陰は魂の領域です。

ところが、このままでは精神(自我)の居場所がありません。
また、心理学で提示されている深層心理・集合意識の居場所もありません。


心魂太極01
滝行合宿のテーマでもあった「人は玉でごわす」をヒントに…
体を玉とすると、残りの部分は自我(精神)
魂も玉とすると、残りの部分は集合意識と考えられます。

これを身魂太極図と名づけます。


心魂太極02
すると、縦横の2軸によって、4つの領域に分けられます。

右上:自我と身体:身体能力を拘束(限界設定)する自我の領域、三次元世界との交渉窓口?
左上:自我と魂:魂の在りたい方向の啓示領域。不一致だと現実の障害や精神的病の発生源。
右下:身体と魂:この世で自己表現を求める領域。不一致の場合、身体的病の真の発生源。
左下:魂only:自由闊達・何者にも囚われない領域。「根源:宇宙」との接続窓口?

現代人は、これらの領域のうち、僅かに「自我と身体」のみで「生きて」いるようです。
これでは、心身ともに病み・闇が深くなるのは無理ありません。

さて、我々が普段「外の世界」と認識している三次元世界と心身との関係はどうなっているのでしょうか?


心魂太極03
身体と顕在意識との境界の身体側には、五感(眼耳鼻舌身)の感覚器が存在します。
同時に意識側には、感覚器からの情報を認識する五覚(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)が存在します。
対を為す両者が在ってこそ人間は三次元世界を「知覚」できます。

ここまで、自我(意識)と一括して扱ってきた領域は、
般若心経に代表される経典には五覚を五識とし、意識を第六識(顕在意識)としています。

やや後に成立した唯識系の経典では、第六識に加えて
第七識であるマナ識(自我:個的潜在意識)も発見されています。
さらに、身体と生命的エネルギーの源泉でもある第八識のアラヤ識も見出されていますが、これらとの接点は、五感・五覚のように七つあるチャクラが対応しているようです。

現在から1900〜1800年前、
既に仏教修行者によってマナ識(自我:煩悩の発生源であり自己制約の源流)とそこから生ずる感情や記憶が蔵されるアラヤ識が発見されていた事は驚きです。

太極図の外側は、第九識であるアマラ識(宇宙の根源意識)と考えられます。


心魂太極04
このように整理すると、
◎横軸は
・左側方向が常に生々流転する「流れ・変化」の軸性であり、
・右側方向が「固定化・執着」の軸性であること
◎縦軸は
・下方向が「集合化・合一」の軸性であり
・上方向が「分離・分別」の軸性である
ことがそれぞれ判ります。

注意深くこの「心身魂太極図」を観察すると、さらに重要なことに気づけます。

一般的に「自己の外界世界」と認識されている「三次元世界」は
実は「体」と「意識」の円弧線上の「境界に折りたたまれている」

という事です。

感覚器と知覚が認識できる「世界」は、「両者が在ってこそ」であるからです。
つまり我々が普通に外界と知覚している三次元世界は、両者の間にのみ存在する極めて狭い(限定的な)世界なのです。

この事は般若心経を含めた複数の仏典やヌース理論、
スピリチュアルなメッセージが全て
異口同音に指摘していることでもあります。

すなわち、
現世は仮想であり、現実ではない:色即是空、空即是色
ということです。

また、逆に「この世」が三次元であるならば、
魂を含めた我々の存在とは、さらに高次元である
ともいえます。

この図では「この世」は円弧(線:一次元)であり、図は二次元ですから一次元加える必要があります。
また、(まだ未習熟の段階ですが)ヌース理論の特徴である次元観察子の考え方を導入すると、少なくとも2〜3次元加えなければ、説明ができないことになりそうです。


心魂太極05
従って、心身魂太極図の「周囲は全て宇宙意識(アマラ識)が占めている」ことも判りました。
我々の「自己」は、決してポツンと「独り在る」のではなく、宇宙という海の表面でさざめく一つの波であるという仏典のたとえも理解できます。
つまり、本図では「境界がある」かの如く表示していますが、「陰」の領域の外境界は実際には存在せず、宇宙(意識)と直接つながっているのです。

さて、このように理解・分析を深めると、次の事も導かれてきます。
すなわち、様々な仏典やスピリチュアルガイドが示している方向性
自我:煩悩の源泉に対処して癒(原因を除去)し、瞬間瞬間を意識的に活きることによって得られる智慧と行動の高次完全なる一致によって得られるのが、悟り(開眼)の人生です。


心魂太極06
本図でいえば、上半球において「自我を縮小させ、意識を拡大する」ということです。
経典にはこの時、全知覚の感受性が拡大し、大いなる幸福感に包まれるとも指摘されています。

唯識系の経典によると、
・マナ識には「遍計所執性」と呼ばれる性質、すなわち「自我や身体が自分である」と捉え「自他分離・環境と存在をばらばらなもの」と捉える分別の癖(分別知)があること。
・それによって意識に対して6つの基本煩悩「貪・瞋・癡・慢・疑・悪見」が引き起こされる
とあります。
このうち、悪見には「自我や身体が自分である」と見る「身見」も含まれ、この悪循環によって分別知がますます強化されてしまっているようです。

現代人の漠然とした不安感、恐れ・怯えの感情は、その殆どがマナ識から発せられる根本の4煩悩(我癡・我見・我慢・我愛)が無意識的に顕在意識に働きかけ、6つの基本煩悩が強化され続けて限界に達しているために引き起こされているようです。

これを断ち切るには、 「自我や身体は自分の本体ではない」と身見を正す事をはじめ、意識的にマナ識を浄化して書き換えることにより、アラヤ識に蓄えられた記憶(善悪・正邪を問わずに蓄積される)自体を浄化することが重要になります。

・自我を知覚し、癒して消滅させ、
 意識を魂と直結して「意識的に」
 生きることで、知覚が拡大する。
・集合意識に直接働きかけて
 変化を加速し、アセンションを為し
 心身魂一体となって活きる。



心魂太極07
本図では、上半球に占める自我の領域が縮退し、意識化することによって
下半球の集合意識と対の関係性が
これまでの自我vs集合意識の関係から、意識vs集合意識の関係へと変化するようになります。

つまり、本来存在する意識と集合意識の両者を結ぶ回路によって「我々の意識が集合意識に直接働きかけられるようになる」事もわかります。

これによって、三次元世界の変化が加速し、人類全体のアセンションが実現し、次なるステージにスムースに移行することでしょう。


・自我の存在に気づき、それを柔化して縮退(浄化)させ、代わりに意識を充満させてどんな瞬間瞬間も「意識的に生きる」こと
と、
・それによって集合意識に働きかけて変化を加速させ、人類全体のアセンションを為し、心身魂一体となって活きる

この二つの流れを、矛盾させずにシンクロさせて生きる(活きる)ことこそ、
今日の大変化・大変革の瞬間に生き遭わせている私たちの使命である
とも考えられます。

しかも、辛さの克服・浄化・気づきなど個人的体験は、集合意識(アラヤ識)に浄化の記録として記憶され集合意識自体の浄化になるので、個人的体験に留まらず、人類・宇宙全体への貢献にもなるのです。

著しい変化の時代に、精神的に苦しんでいたり自分を責めている人は、音速を超えたパイロット[2010.12.20]の例えを思い出してください。

普段の暮しの経験も本質的には同じです。悩み・心配・不安・恐れ。それらが大きくなってくれば来るほど、超えるべき(音速の)壁に近づいてきた証拠なのです。
この時やめてしまうと壁は超えられません。
そのまま突き抜けていけば、全ての騒音がついてこられなくなり、心の静寂の素晴らしい世界に出逢えます。

「身見」を手放して「自我は自分そのものではない」と気づくこと、音速の壁を越えるということ、この二つが自我に向き合うとき、支えになってくれることでしょう。


まだ仮説の域をでるものではありませんが、この身魂太極図には未だ読み解けるものがあります。
が、いささか長くなりましたので、次の記事に「つづく」ものとさせていただきます。


なお、本記事の中で、身魂太極図に関するものはオリジナルですが、
唯識の知見は、NHKブックス「唯識のすすめ」によるものです。


このような貴重な図書が、メディア系の出版社から発刊されていることに興味深いものがあります。


最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
∞の握手(^^)/~
posted by はれっと∞ at 15:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 「ひと」って… | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
我々が普通に外界と知覚している三次元世界は、
両者の間にのみ存在する極めて狭い
(限定的な)世界

極めて狭い(限定敵な)というメッセージに
新鮮な感動を覚えます

われわれの意識は思っている以上に
とてつもなく、大きくて、拡がっている
のですね

ありがとうございます
Posted by ponsun at 2010年12月29日 05:04
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